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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

スピリチュアリティ


WHO(世界保健機関)は、健康について「健康とは、身体的、精神的および社会的に完全な幸福(ウエルビーイング)の一つの状態を云う・・・」と定義していますが、1998年の理事会で、WHO創立50年を記念して開催される1999年の総会において「健康とは身体的精神的社会的かつ、霊的(スピリチュアル)に完全な一つの幸福のダイナミカルな状態・・・」という新しい定義を提案しようということになりました。

 しかし、それ以降、健康の定義は変更されることなく、「霊性(Spirituality)」というテーマはカヤの外に置かれたまま、現在に至っています。

 ちなみにWHOでは、この討論の出発点となる霊性について「自然界に物質的に存在するものではなく、人間の心に湧きおこってきた観念の――とりわけ気高い観念の――領域に属するものである」と定義しているそうです。

 私たち現代人の日常生活も、人間を超越する偉大な存在「スピリチュアリティ(すなわち霊的なもの)」とのかかわりを遮断して進行しているように見えます。

 しかしインターネットなど電子機器が、日常的に当たり前に使われている時代なので、目に見えない電波が家の壁や私たちの体を貫いて飛び交っていて、これからますます「波動」というテーマが家庭生活にも姿を現すことになるように思われます。

 特定の宗教を意味しない「スピリチュアリティ」というテーマが世界レベルで認識される、そんな時代がやってきているのかも知れません。

突破口を開く

・・・・・深く掘られた洞窟の奥に、身動きできないように体を縛られた囚人が鎖につながれています。囚人は奥の壁しか見ることはできません。一方、洞窟の入り口の向こうには、暖かい日差しの中を鳥たちがいきいきと楽しそうに自由に飛び交っています。

 囚人は壁に映る小さな自分の影しか見ることはできません・・・・・。

 これはたとえ話なのですが、洞窟の奥に映っているちっぽけな自分の影というのは、日常生活の中で、私たちが【自分だと思っている"自我"】のことを指しているのだと思います。

 自分を縛っている鎖というのは、真実の姿を見ることへの恐れの心なのかもしれません。

 現代人は、「霊的なもの(光り輝く永遠のもの)」の間際で暮らしているという事実に目をつぶり、合理的、現実的に生きているうちに、超自然的なものを現実世界に反映させる力を失いつつあるように思われます。

 私たちを取り巻く秩序は宇宙エネルギーの運動の中にあり、エネルギーの外に存在するものは何もないのですから、周期的に波形を成して動いている宇宙のリズムとの再結合に目を向けることこそが何よりも大切なことなのだと思われます。

 まず初めに生命力のほとばしりがあり、その周囲に様々な形が形成されるのですが、現代社会では、客観的な事実からなる静的な世界が現実の姿であると認識されがちと言ってよいと思います。

 「まず初めに生命力のほとばしりがあり、その周囲に様々な形が形成される・・・」という見方に立って考えてみますと、私達人間を飛躍させるのは、外部の「事実」ではなく、内部の「感情」ということになります。

 生命力のほとばしりである内的自己を強化し、自我の殻を打ち破れば、現実世界の広がりが見えてきて、人類の超越的な進化の道のりが見えてくるのではないでしょうか?

 "生きる"ということは、自分の心と魂を縛っているかもしれない無意識の鎖から自分を解き放ち、宇宙すなわち外部世界のエネルギーと自由に交流することなのですね。

 ベストセラー「神々の指紋」で知られるグラハム・ハンコックさんが来日された時のことです。富士山のふもとにある遺跡や古文書を見てもらおうと思って、山梨県を訪問しました。そこはくっきりそびえる富士山を間近に見ることができる、とても素晴らしいところでした。

 その日は快晴で、日本一の霊峰・富士の雄姿を堪能することができました。すっかり感激して、私たちを案内してくれた地元の人に「毎日美しい富士山を見ることができて幸せですねー」と声をかけたところ、その人はキョトンとした表情で「そういえば長いこと富士山を見てなかったなー」とつぶやかれたのでびっくりしました。

 「見れども見えず」という言葉がありますが、人の意識に上がらないものは「見ていても見えていないのだな」ということを実感いたしました。

 そういえば私も、我が家の近所の田んぼの周辺を散歩することがよくあるのですが、ある時、田んぼの中に古びた小屋が建っていることに気づいて「こんなところに小屋が建っていたかなあ!?」と不思議に思ったことがあります。

 よほど意識を明確にしておかないと、「見れども見えず」ということは、日常生活の中で頻繁に起こっているのではないかと思えてきます。

「事実」と「感情」

 前述いたしましたように、日常生活において私たちをイキイキと飛躍させ、成長の喜びを感じさせてくれるものは、外部の「事実」ではなく、私たち人間の内部に息づいている「感情」ではないでしょうか?

 科学技術の成果によって創造された物質文明の真っただ中で暮らしている私達は、超自然的なもの(光り輝く永遠の存在)に囲まれて暮らしているという事実に対して、ついつい目をつぶって生活しがちなのかもしれません。

 私たちの世界が混沌としているのは、「モノを見る角度」が、自然とはかけ離れた物質文明の尺度で調整されているからで、少し照準をずらして見ると、混乱の底に自然界を織りなすイキイキとしたエネルギーが横たわっていることに気づかされます。

 すべては、この宇宙そして自然界を創り上げているエネルギーの中にあり、エネルギーの外にあるものは何もないわけですから、宇宙のリズムと共鳴することによって、「自然界の秩序」と「私たちの情緒と知性」が調和するという原理が働くのだと思います。

 洞窟の奥の壁に映る小さな自分の影を、ただ無意識に見続けていると、自我の殻が強くなりますから、そのことに気づき、自分を縛っている覆いを取り除けば、現実世界の本質、すなわち宇宙レベルの広がりが見えてきて、新たな進化の道が開かれるというのが真実のあり方なのではないでしょうか?


 「病気によって生存期間が限られている人にとっては、クオリティオブダイイングが問題になるわけですから、【スピリチュアリティ】を論じることが絶対に必要になります」と理事会に出席された京都大学・龍谷大学名誉教授山口昌哉氏は指摘されています。

 「外なる世界」と「内なる世界」を統合し、超自然的なものと響きあうことこそが、現代人に求められている大きなテーマであり、進化への道と言ってよいのではないでしょうか?


参考文献: 山口昌哉「『霊性』ととりくみはじめたWHO」季刊・仏教no.45